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 いま語っている時期より少し前に、私は、ウェッジウッドとH・デイヴィ卿とが行った――だがそれまで一度も耳にしたことのなかった――〈光〉の作用に関する研究の報告に出くわした。この主題についての彼らの小論は、1802年、『The Journal of Royal Institution』の第1巻に掲載された。その小論は珍しく、また興味深いもので、彼らこそ〈写真術〉の最初の発明者であるという主張の確かな裏付けになるものである――〈写真術〉の進歩に彼らが実際にもたらしたものは小さかったとしても。実際、彼らは、一枚の紙に処理を加えてそのうえにさまざまな平らな物を置き、太陽光にさらすことでその刻印を得ることに成功している。しかし彼らは、その画像を定着させたり、保存したりすることはできなかったと述べている。そのためにあれこれ試みたものの、すべて失敗に終わったのである。
 この〈技術〉の根幹、すなわち〈カメラ・オブスクラ〉を用いて離れた事物の画像を得ることに関していえば、彼らはそのための試みを行ったものの、どれほどその実験を長く続けても〔露光時間を延ばしても〕、成果はまったく上がらなかった。それゆえ、その試みを行ったということに対しては、彼らは当然賞賛されるべきだが、かといって彼らがそうした画像〔〈カメラ・オブスクラ〉を用いて離れた事物の画像〕を現実に得るための製法を実際に発見したと主張するわけにはまったくいかない。
 注目すべきは、彼らがこの点に関して完全に失敗したように見えたため、彼らも自身も、彼ら以外の人々も、この〔研究〕主題をその後すぐに放棄してしまい、管見の限りではそれが再開されることが一度もなかったという事態である。この一件は、30年以上にわたって、すっかり忘れ去られてしまったのである。それゆえ、ダゲレオタイプは、ダゲール氏とフランス研究所が想像したほど、完全に新規の発想ではないとしても、また、私自身の労苦も、ウェッジウッドによってもっと直接的に先取りされていたとしても、それでも、その改良はどこから見ても非常に大きなものであり、1839年は、〈写真術〉の真の誕生日、すなわち、それがはじめて世界にむけて公的に開示された日と見なしてよいだろうと私は思う。