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<第6分冊 (XXII-XXIV)>

図版XXII
ウェストミンスター寺院

 ブリテンの〈首都〉にあるこの荘厳な大寺院はどこもかしこも、煙がかった大気の影響をうけて浅黒い色味を帯び、その材料となっている石の自然な見かけがまったく消えてしまうほどになっている。このように煤で覆われてしまうと、色の調和がすっかり台無しになり、残るのはただ形と大きさが生み出す壮麗さだけになる。
 このウェストミンスター寺院の画像は、その一例である。建物のファサードは大気の影響でひどく、また少しまだらに薄黒くなっている。

図版XXIII
砂漠のハガル

 この〈図版〉は、写真術のまた別の利用法を示すためのものである。写真術を使えば、大画家たち old masters のオリジナルのスケッチの写しを作ることができる。そうすると、オリジナルのスケッチを傷めないで、いくらでも数を増やすことができる。
 フランチェスコ・モーラによるこのハガルのスケッチを実例として選んでみた。ミュンヘンで作られた写しから作られたものである。この場合、写真による複写の工程はまったく困難を伴わない。密着焼付の方法を用いて原寸大で複写している。

図版XXIV
果物作品(フルーツ・ピース)

 一枚限りのオリジナルの写真画像から作ることのできる複写の枚数は、ほとんど際限がないといえそうである。ただし、複写を作る前に、画像に含まれるヨウ素をすべて取り除くことがその条件になる。というのは、もしヨウ素が少しでも残っていると、画像は何度も繰り返し複写することに耐えられず、徐々に色褪せていってしまうからである。これは化学的な事象から生じることである。すなわち、太陽光と微量のヨウ素とが一緒に(それぞれ別々にではなく)作用すると、酸化銀が分解され、無色の金属酸化物が形成されるという事象である。しかし、こうした事故が起こらないようにしっかり用心すれば、オリジナルの画像を傷めないようとても丁寧に扱う限り、すこぶる大量の複写を次々に得ることが可能である。しかし画像は、紙のうえに作られる以上、さまざまな事故の危険にさらされている。もし不用意に引き裂いたり、表面を汚してしまったりしてしまうと、もちろんもう複写を作ることはできなくなる。最初の分冊のなかの2つの図版が、そこから多数の複写を作ったのちではあったが、この種の不幸に見舞われ、そのため、別のものに取り替えなければならなくなった。その結果、〈カメラ〉をもう一度元の事物〔被写体〕に向け、新たな写真画像を以後の複写の供給源として得た。しかし、光と影の状況、撮影時刻等々が最初の撮影のときと完全に一致するわけではないので、この試みからは〔元の画像と〕わずかに異なる――だが劣るわけではない――画像が結果として出来上がった。しかし、以上述べたことから、なぜ図版によって違いが存在するのか、その原因が容易に説明がつくだろう。