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<第4分冊 (XVI-XVIII)>

図版XVI
レイコック・アビーの回廊

 修道院は、ソールズベリの伯爵夫人、すなわちヘンリー2世とその愛妾ロザモンドの息子ウィリアム・ロンゲペーの未亡人であるエラによって創建された。
 それはヘンリー3世治世下の西暦1229年の出来事であった。彼女は初代修道院長に選ばれ、長年にわたって深い思慮と憐れみをもって修道院を治めた。彼女は、回廊に埋葬され、その墓の上には次の碑文が書かれている。

Infrà sunt defossa Elæ venerabilis ossa,
Quæ dedit has sedes sacras monialibus ædes,
Abbatissa quidem quæ sanctè vixit ibidem,
Et comitissa Sarum virtutum plena bonarum.

 しかし、現在残っている回廊は、ヘンリー6世の時代のものと考えられている。回廊は、四角い中庭を取り囲むようにその3辺を占めており、イングランドの私邸に残るものとしては最も完璧な状態のものである。月光のなかで見るととりわけ、その効果はきわめてピクチャレスクであり、荘重である。
 この場所で私は、その昔シスターたちがよく、静かに瞑想しながらゆっくりと歩いていであろうと想像する。ただ、本当のところを言えば、彼女たちは、どのように生き、どのように死んでいったのかという記録を後生にほとんど残していない。「レイコックの書」なるものも、コトニアン・ライブラリーの火災〔1731年〕の際に焼失してしまったと考えられている。その書物に何が書かれていたのかは私には分からない――彼女たちの私的な回想録であった可能性もある。しかし、口承で伝えられてきたことや古物研究家の情熱のおかけで発見されたことが多少はあり、それらの材料を元に、詩人ボウルズ〔William Lisle Bowles?〕は『レイコック・アビーの歴史』という興味深い本を書き、1835年に出版した。

図版XVII
パトロクロスの胸像

 本書の第5番目の図版に写っていた胸像を別の角度から撮影した図である。