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<第1分冊(I-V)>

図版I
オクスフォードのクイーンズ・カレッジの一部

 この建物の表面には時と風雪がもたらした傷みの跡が、誰が見ても分かるほどにはっきり刻まれている。石がぼろぼろになっているが、それはおそらく、もともと石の品質が悪かったせいであろう。
 この図 view はハイ・ストリートを挟んで反対側から――北向きに――撮影された。時は朝。
 ずっと奥のほう、狭い通りの突き当たりの東側に聖ペトロ教会がある。オクスフォードで最も古く、サクソン時代に建立された教会と言われている。この通りは、教会の前を抜けるとすぐ左に折れ、〈ニュー・カレッジ〉へと続く。

図版II
パリの大通りの図

 この図は、平和通りの角にある、ホテル・ド・ドゥーヴルの上階の窓から撮影されたものである。
 読者は北東の方角を眺めている恰好だ。時は午後。ちょうど太陽が円柱で飾られた建物の並びから消え去ろうとしているところで、その正面はすでに陰になっているが、前方に突き出すように開け放たれたよろい窓が一つだけあり、かすかな日光を受けて輝いている。天気は暑く、ほこりっぽい。通りはちょうど水が撒かれたところで、そのため暗い影のような二本の広い筋が走っている。この二本の筋は手前で一本になっているが、それは道が一部補修工事中だからである(二台の手押し車などから見て取れる)。撒水機が通りの反対側に追いやられたのである。
 通りの脇には、《辻馬車》、2輪幌馬車が列をなして停まっている。右手のずっと奥には4輪馬車が一台だけ見える。林立する煙突が地平線を飾っている。というのも、[カメラという]器具はそれが見るものすべてを仔細に記録し、煙突だろうが、煙突掃除夫だろうが、ベルヴェデーレ庭園のアポロ像を描写する場合と差別なく公平に描写するからである。
 この図はかなりの高さから撮影されている。それは、右手の建物を観察すれば容易に分かる。眼の位置は、水平の線や積石が示す線が画像の縁あたりで平行になっている部分の建物の高さと必然的に一致するのである。

図版III
陶器

 ここにある実例を見ていただくだけで充分明らかであるが、古い陶器の〈愛好家〉、蒐集家の飾り棚全体を紙に描き出すのにかかる時間は、文字で描写して所蔵品目録を作るという常套手段と比べて少しばかり長いだけである。古いティーポットが風変わりで奇妙なかたちをしていればいるほど、文字で描写するのではなく画像を得ることの利点は大きくなる。
 その後泥棒がこれらの宝物を盗みに入ったとしよう。画像という寡黙な証言がその泥棒に対して法廷に提出されることになったとしたら、それは確実に新しい種類の証拠となるだろう。しかし、裁判官や陪審員がそれに対してどのようなことを言うのかという問題は法的な見識をお持ちの方々の考察に委ねておく。
 この図版に表象されている品々は数多いが、どれほど対象の数が多かろうと――またどれほどその配置が複雑であろうと――〈カメラ〉はそれらを一挙に描き出す。《それが見るもの》の画像を作るといってもいいだろう。対物レンズはこの器具の《眼》である――感光紙は《網膜》に譬えることができよう。また、その眼はあまりに大きな《瞳》を持ってはいけない。つまり、レンズはその前に、小さな丸い穴をもった遮蔽板や絞り(隔壁)を置くことで小さくされねばならない。光線はその小さな穴だけを通り抜けて入ってくるのだ。器具の眼がこの狭い開口部(絞り)を通してさまざまな対象を見るようになされたとき、結果として出来上がる映像はずっとシャープで正確なものになる。しかしその場合、対象が紙のうえに自分自身を刻印するための時間は長くかかる。なぜなら、開口部が狭ければ狭いほど、周囲の対象から器具に入ってくる光線の量、それゆえ紙の各部分に落ちる光線の量は減ってしまうからである。

図版IV
ガラス器

 光が生み出す photogenic ガラス器の映像は、きわめて独特のタッチで感光紙に刻印される。そのタッチは、図版Ⅲの陶器の場合とはまったく異なる。それゆえ、白い陶器とガラスとは、一緒にはうまく撮影できないと言うことができよう。なぜなら、陶器は明度が高いので、その画像は、ガラスの画像がうまく形成しはじめもしないうちにすっかり仕上がってしまうからである。しかし、彩色された陶器なら、ガラスとともに同じ画像のなかに持ち込んでもよい場合がある――その色が純粋な青でないならば、であるが。というのは、青い物は白い物とほとんど同じくらいのスピードで感光紙に影響を及ぼすからである。逆に、緑の光線の作用はきわめて弱い。緑の木を明るい色相の建物だとか、その他の何か明るい色の物とともに同じ画像のなかに撮さなければならないときにはいつも、このことが差し障りになる。

図版V
パトロクロスの胸像

 彫像、胸像、その他の彫刻見本は、たいてい、〈写真術〉によってうまく表象される。それらは白いため、表象が形成されるスピードも非常に速い。
 その描写は、ほとんど無限の多様性を受け入れる余地がある。というのは、まず、彫像は、太陽との関係においてどんな位置にでも置くことができるからである。太陽に対して正反対の位置にも、別のどんな角度にでも置くことができる。照明が正面当てられるか、斜めから当てられるかによって、もちろん、まったく違う効果が生まれる。また、日差しがどの方向から落ちてくるかを選んだあとでも、彫刻はその台座のうえで回転させることができる。これによって、第2のヴァリエーションが生まれる。これは、最初のものに勝るとも劣らない大きな幅を持っている。さらに、〈カメラ・オブスクラ〉を彫像に近づけたり、引き離したりすることで映像に生じるサイズの変化を付け加えれば、どれほど数多くの異なった効果が、ただ1つの彫刻見本から得られるか明白になる。
 多くの彫像に関していえば、しかしながら、日なたではなく曇り空のもとで撮影するするほうがいい効果が得られる。というのも、日光は非常に強い影をつくってしまうので、何が写っているのかが分かりにくくなることが時にあるからである。それを防ぐためには、彫像の脇の、少し離れたところに白い布を垂らし、それに日差しを反射させて彫像に当て、陰になって見えなくなる部分に弱い照明を当てるという巧いやり方がある。