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<第5分冊 (XIX-XXI)>

図版XIX
レイコック・アビーの塔

 塔の上部は、エリザベス女王の時代のものとされているが、下部はおそらく、ヘンリー3世の治世下の修道院(アビー)の創建時に遡るものである。
 塔には、階ごとに1部屋ずつ、合計3つの部屋がある。真ん中の階の部屋は文書保管庫として使われており、計り知れない価値をもつ貴重な古物、すなわち、ヘンリー3世の〈マグナ・カルタ〉の原本が保管されている。この〈大憲章〉の写本はイングランド中の州知事に一部ずつ送付されたもののようである。高名なソールズベリ伯爵夫人エラは、その当時、ウィルトシアの州知事を務めており(少なくとも口承ではそう伝えられている)、そのため、この写本が彼女の手に渡り、彼女の生きた時代以来ずっと修道院に注意深く保管されてきたのである。この修道院を彼女が創建したのは、この〈大憲章〉の制定から約4年後のことであった。
 ジョン王の〈マグナ・カルタ〉については何部かの写本が現在なお現存する。しかし、その後継者ヘンリー3世の〈憲章〉の写本としては、2部のみが知られるにすぎない。その制定は、ラニミードの地で〈マグナ・カルタ〉が調印されてからたった10年後〔1225年〕のことであった。写本のうちの1つは、イングランドの北部で保管されているが、傷みが激しくまったく判読できない。しかし、レイコック・アビーに保管されている写本は初めから終わりまで完璧に明瞭で判読可能であり、それに緑色の蝋の封印が付されており、彩色されたシルク――だが6世紀のあいだに色あせてしまったシルク――の小さな袋のなかに入れられている。
 レイコック写本は、それゆえ、この〈大憲章〉のテクストの内容を正確に知るための拠り所となる唯一の典拠である。また、ブラックストン〔William Blackstone 法律家〕自身が語っているように、〈大憲章〉の刊本はレイコック写本をもとにしているのである。
 塔の上からは、広大な眺望を見ることができる。とりわけ、南方に眼をやると、約23マイル先にあるストウヘッド庭園のアルフレッド・タワーまで望むことができる。
 今から3世紀前、レイコックを相続したオリーヴ・シェリントンは、この建物の欄干を乗り越えて、その恋人の腕のなかに飛び込んだ。その恋人とは、ウスターシア州の勇ましき紳士 gallant gentleman 、ジョン・トルボットで、シュローズベリ伯爵の親族であった。彼はその勢いで地面に押し倒され、しばらく気絶したまま横になっていたが、女性はただ指に傷を負ったか、指の骨を折ったかしただけですんだ。彼女の父ヘンリー・シェリントン卿はこの一件で心を解き、その後すぐに2人の結婚を認めた。その理由として「《娘が踏み出した大胆な一歩》」を挙げている。
 多くの家族において〔文字に書かれることなく〕口承で、おとぎ話のような大昔の物語が伝えられているが、この恋する女性の跳躍のお話も、伝えられるうちに、別の時代の出来事が付け加わって美化されているかもしれない。というのは、指の骨折の話は疑わしいし、少なくともオリーヴ本人が本当にこの話の主人公なのかどうかは疑わしいと私は思っているからである。どれほどの悲劇的な光景が13世紀と14世紀を通じてこれらの壁の中で繰り広げられなかったと誰が言うことができようか? 指から血を滴らせるある修道女の亡霊が長らくアビーの境内に取り憑き、その姿が、昔は多くの人々によって目にされてきた。その苦悩の魂はいまではついに安息を得ていると私は思っている。オリーヴのお話だが、私は彼女よりも古い時代の浮気なシスターに挿話を借りているのだと思う。

図版XX
レース

 これは、本書で紹介される最初の《ネガ》の映像の例なので、それが何を意味するのか、違いはどこにあるのかを簡潔に説明しておかねばならないであろう。
 通常、光は白い感光紙に《黒化》という効果を与える。それゆえ、もしなんらかの対象が、たとえば一枚の葉が〔感光〕紙の上に置かれると、それが光の作用を遮るので下の紙の白さが保たれ、したがって、それが取り除かれるとそこに葉の形、もしくは影が黒化した紙の上にはっきり印されるのが眼にされる。影は通常暗いが、これはその逆なので、写真の言語では《ネガ》の映像と呼ばれる。
 この図版で描かれているレースがその良い例である。どの複写もオリジナルであり、すなわちネガの映像である。つまり、レースそのものから直接得られた映像である。さて、もしレースを〔直接〕複写するのではなく、そのネガの映像の1つから複写を作るとすると、そうやって出来上がるのは、レースの《ポジ》の映像となるだろう。つまり、レースは、《白》の地の上に《黒》く表象されることになるだろう。しかし、この第2次の、つまり「ポジ」の映像において、レースを構成する細く繊細な糸の表象は、オリジナル〔レースそのもの〕から直接作られていないために、それほどシャープで判明なものではなくなるだろう。建物や彫像、肖像等々を撮影する場合には、《ポジ》の映像を得ることが必要である。なぜなら、そうした事物のネガの映像は、光が影に、影が光に置き換えられるため、そこに何が写っているのかほとんど分からなくなるからである。しかし、レースや植物の葉のようなものを複写する場合は、ネガの映像でまったく差し支えない。黒のレースも白のレースも同じくらい眼に馴染みがあるが、〔ネガの場合〕事物はそのパターンをこのうえなく精確に示すことになる。
 最初のころは、写真術を用いて良い「ポジ」の映像を得るのは大変難しかった。なぜなら、オリジナルの、つまりネガの画像は、日光にさらされるとすぐにその内部が不透明になってしまい、それゆえ、ポジの複写を作ることができなくなるか、できたとしてもごく少ない部数しか作れなかったのである。しかし、幸いにも、この困難はずいぶん以前に克服され、ネガの、つまりオリジナルの画像は、今ではそれを複写する工程を通じてずっと透明のままでいてくれる。

図版XXI
殉教記念塔

 オクスフォードは、3世紀に及ぶ時が流れたのちついに、その殉教した主教たちにふさわしい記念碑を建立した。彼らは、メアリー女王〔メアリー一世、1516ー58、カトリックを復活させようと多くのプロテスタントを処刑した〕の治世に、〈プロテスタント〉のために亡くなられたのである。
 そして私たちも、この図版において、それにふさわしい表象を得ようと努力した。それがどれほど成功したかについては、寛大なる〈読者諸氏〉のご判断にお委ねするほかはない。
 この画像に見られる彫像は、ラティマー主教の彫像である。