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<第3分冊 (XIII-XV)>

図版XIII
オクスフォードのクイーンズ・カレッジ――入口の門

 本書の最初の図版で私はこの建物の一角を示した。今度の図版は、〈カレッジ〉の門と中心部を撮影した図である。ハイ・ストリートをはさんだ反対側の建物の窓から撮影した。
 写真画像の完成度を精査するときに推奨したいのは、高齢の方が読書用によく使っているような大きなレンズを利用することである。このレンズは、物を2、3倍の大きさに拡大してみせてくれるので、それをのぞく前には気づかなった思いがけない微小な細部を数多く開示してくれることがよくある。さらに頻繁に起こるのは――これが写真の魅力の1つでもあるのだが――撮影者自身が、写真を精査しているときになって、場合によってはずいぶんあとになってようやく、撮影時にはまったく頭になかった数多くの事物がそこに写っているのを発見するということである。建物に銘文と日付が刻まれていたり、その壁にまったく関連のない印刷された掲示物を発見したりすることもある。また遠方に時計の文字盤が写っていて、そしてその文字盤――無意識のうちに記録された――のうえに、当の図が何時に撮影されたのかが写っていることもある。

図版XIV
梯子

 存命中の人物の肖像や集合写真は、写真の最も魅力的な主題の1つである。本書の今後の展開のなかでもいくつか例を〈読者諸氏〉のお目にかけたいと思っている。
 太陽が照っていると、小さな肖像なら私の製法を用いて1、2秒で得ることができる。しかし大きな肖像だともう少し時間がかかる。天気が悪く、曇っていると、それに応じた〔露光時間の〕調整が必要で、モデルに辛抱をもっと長く頼むことになる。集合写真だからといって1人だけの肖像よりも時間が余計にかかるわけではない。というのも、〈カメラ〉は人物たちを、人数がどれほど多かろうが、一挙に描き出すからである。しかし、現時点では、この種の写真でうまく成功を収めるには、あらかじめきちんと段取りや手はずを整えておかねばならない。〈街〉に赴き、動きのある群衆を撮影しようとしてもうまく行かない。というのも、彼らは一秒の何分の1かで大きく位置を変えるので、表象の判明さが損なわれてしまう〔ブレが生じてしまう〕からである。しかし、何人かの人物を芸術的に配置し、少しばかり練習し、数秒間じっと微動だにしないようにしてもらえば、たいへん魅力のある画像を簡単に仕上げることができる。私の観察したところ、家族写真がとりわけ評判がよい。また、同じ5、6人の人物をあれこれ異なった姿勢で組み合わせると、そうした一連の画像がたいへん興味深い、生き生きとした現実感を帯びたものになる。〈英国貴族〉にとって、1世紀前に生きた先祖のそうした記録が残っていたとしたら、その価値たるやいかほどであろう? ギャラリーにある一族の肖像のうちのほんのわずかのものしか、彼らは心の底から本当に信じることはできないのである!

図版XV
ウィルトシア州レイコック・アビー

 ウィルトシア州にある著者〔である私〕の居宅を表象する図のシリーズの1枚。13世紀初期に創建されたきわめて古い宗教建築で、その多くの部分はいまなお保存状態がきわめてよい。
 この図版は〈アビー〉を遠くから捉えた図で、修道院がエイヴォン川の川面に反映しているのが見える。読者は〈北西〉を見ている。建物の〈南東〉角を占める塔はエリザベス女王の時代のものだと信じられているが、その下部はそれよりずっと古く、修道院の創建時に遡る。

 「フォトジェニック・ドローイングの技術」に関する私の最初の説明――1839年1月に〈王立協会〉で読み上げたもの――のなかで私は、この建物について「自分自身の画像を描いた、これまでに知られる限り最初のもの」として言及した。
 こうした興味深い自己表象が最初に得られたのは1835年夏のことであった。サイズは非常に小さかった。実際、それらは判明ではあるが、細密な縮図である。それらを作るのに最短でも9、10分ほどかかった。