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 何を学ぶにせよ、学問に王道なしとはよく言われることで、それはついには格言となった。しかし、この格言は誤りである。なぜなら、断言するが、《ドローイング》には王道が存在するからである。近い将来、もっと広く知られ、もっときちんと試されるようになると、それはおそらく非常に頻繁に利用されるようになるだろう。すでにさまざまな《アマチュア》が鉛筆を措き、化学溶剤と《カメラ・オブスクラ》を携えるようになった。《遠近法》の規則を学習し、それを実際に利用することを難しいと感じているアマチュア――しかも彼らは不幸にも怠け者である――は、少なからず存在する。そうしたアマチュアは特に、そうした面倒からすっかり解放してくれる方法を使用するほうを選ぶ。いまではその道に秀でた芸術家さえも、ゴシック教会のほとんど無数ともいえる細部をあっという間に描写する発明を活用するようになっている。普通のやり方できちんとドローイングしていたら、丸一日かけても時間が足りないであろう。

図版XVIII
クライストチャーチの門

 オクスフォード大学にあるクライストチャーチ・カレッジの正門である。
 画像の右側、影になっているところに見えるのは、ペンブルック・カレッジの建物である。

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 オクスフォードやケンブリッジを夏の休暇中に訪れた人々は、その由緒ある学舎をすみずみまで浸す沈黙と静寂に驚いたはずである。
 古い方庭、それを取り囲む建物や回廊は、夏の夕方の終わりには、とても美しく、とても平穏で、とても荘重で、そのためそれを見る者はまるで自分が、いにしえの時代の、人影はないが廃墟ではない街――人からは見捨てられたが、〈時〉の止まった街――をじっと見つめているのではないかという気になってくる。グレート・ブリテンにおいて他に、これに似た感情を引き起こす街はまったく存在しない。他の町では、通りの人込み――先を急ぐ人もいれば、楽しみに耽る人もいる――の賑やかなざわめきが絶えることなく聞こえてくる。しかし夏のオクスフォードは、〈安息の守護神〉の住み家のようである。